にゃんころころ猫だまり

【猫だまりの猫たちと幸せに出逢った子猫たちのアルバム】このたび、ねこ森町8丁目猫だまり島に、 ホテル ガレとニャアハウス おうちをオープンいたしました。ねこ森町にお出かけの際は、ぜひ、お寄りください。【お知らせ】毎月22日には猫だまり島でマルシェを開催!

ゴロゴロ

 

ゴロゴロ、ぼーちゅけはいつも喉を鳴らします

なでるとゴロゴロ。そばにいるだけでもゴロゴロ。ふと目が合うとゴロゴロ。のんきな爆睡姿を見つめていると、気配を感じて、目を閉じたままゴロゴロ。パソコンとワタクシの間に寝そべってゴロゴロ。診察台の上でも具合が悪いのに、カラダをおさえるとゴロゴロ。ゴロゴロはぼーちゅけの音。生きているシルシでした

 

ぼーちゅけの音が失われて、もう十日になります

食欲不振で、お水もたくさん飲まなくなり、おしっこの量も普通くらいになりました。ピンクの肉球がカサカサになっていましたので、腎臓病が進み、脱水症状になっているのかもしれない。点滴でもしてもらおうかしらと、このときはさほど深刻には考えず、翌々日に病院へ行きました

 

のんきな飼い主に、無情な検査結果

肝臓が委縮し、肝酵素の数値が跳ね上がり、黄疸も出て、血小板が減少しているため、ぼーちゅけのカラダの中ではほとんど血液が造られていないでしょう。超音波検査で分からなければ、細胞をとって検査するが、リンパ腫の可能性が高く、治療は化学療法を行う。レントゲンでも肝臓の下に得体の知れない大きな影が映っていました

 

皮肉なことに、腎臓病は初見のまま悪化はしていない

16歳で抗がん剤。覚悟をしました。痛みをとる対処療法のみ行うと。このまま穏やかに・・・と決めたけれど、ぼーちゅけはごはんも食べられない状態で、13日間も頑張りました。生き続けました。心臓が弱り、呼吸が荒く、横になると肺が押し潰されて苦しくなるため、ほとんどを香箱座りで過ごし、眠ることを望みませんでした。うとうとと顔が沈んでいき、このまま少しでも眠ってくれたらというワタクシの願いをよそに、ハッと顔を上げてしまう。まるで目を閉じたら、もう二度と目覚めることができないと恐れているかように

 

肉球、耳、白目がレモンイエローに

黄疸がどんどん進みます。体重もさらに減り、クリスマスに食べるチキンレッグのような立派な太ももも皮と骨だけになりました。それでもゴロゴロ、カラダをなでると喉を鳴らし続けました。ゴロゴロは「脳内麻薬を分泌させるのでいいことですよ」と先生はおっしゃったのだけれど、ゴロゴロ鳴らし続けると、体力を消耗し、睡眠の邪魔にもなるのではと不安でたまりませんでした。もう頑張らなくていいよと言ったすぐそばから、まだ逝かないでとすがってしまう。その繰り返し

 

ぼーちゅけの音はその日も鳴り続けた

その日の朝、「うわぁーん」と苦しそうな弱々しい悲鳴を上げました。闘病に入って初めての鳴き声です。もう、時間がないと悟りました。でも、なでるとゴロゴロと力強く鳴るものですから、まだ大丈夫だろうと15分ほど、そばを離れたその間に、ひとりで逝ってしまいました。動かないカラダに耳を当てると、ぽーちゅけの中からすべての音が失われていました。たったひとりで死なせてしまいました 

 

ぼーちゅけの音は生きたいと訴え、ぼーちゅけも生き続けようとしていた

ワタクシの決断は正しかったのでしょうか。ぼーちゅけが生きたいと思っていたのなら、できる限りの治療をすべきだったのではないか。たとえ、助からなくても。4年前、ミーとモモが立て続けに亡くなった時、最後の最後まで病院に通いました。治療する術がないにもかかわらず、奇跡を望んでしまいました。ふたりを失った後、つらいカラダを車に押し込んで、病院へ通い続けたことをとても後悔したので、今度は負担をかけず、穏やかにその時を迎えさせたいと、ぼーちゅけは必死に戦い続けていたのに、ワタクシはあのときの悲しみに従ってしまいました。奇跡を諦めて

 

16歳だからと、勝手に判断して、ひとりぼっちで逝かせてしまった

猫は死がわかります。猫は死期が近づいた猫には近寄りません。ミーが亡くなるとき、猫風邪で鼻水を垂らしているときでさえ、感染するからと何度ひっぺがしても、くっついて眠っていたぼーちゅけとしーちゅけが、いっさい近寄りませんでした。そして、ミーが亡くなったベッドにも上がることはなく、死後一週間ほどはキャットタワーで眠りました。猫は死というものを、伝染する病だと考えているようです

 

しかし、今回はすこし様子が異なりました

りちゅこがタッタッタッタッと音を立てて、ぼーちゅけの周囲を何度も回り続けました。りちゅこは目が一つしかないので、よくクルクル回る娘なのですけれど、このときは、確実に意思を持って回っていました。死神が近づかないように結界を張っているとか・・・。そして、結界を張り終わると隣の部屋に消え、三十分ほどすると、こちらに戻り、今度は部屋を大きく一回ぐるりと回って、また隣の部屋に去る。まるで、死神が来ていないかパトロールをしているように・・・

 

決断が速すぎたんじゃないか、まだ、可能性が残っていたんじゃないか

何をどう後悔しても、ぼーちゅけは戻って来てはくれないのですけれど、後悔せずにはいられません。この先もずっとずっと後悔し続けるでしょう。5月末に「加齢なる病歴」と題して、ぽーちゅけのことを書きましたけれど、あのとき、病気は持っていましたし、年齢からくる衰えもありました。ベッドに一度で飛び上がれなくなったとか。でも、元気は元気で、3年は難しいかもしれないけれど、今年も無事で、令和2年だって、ともに迎えられると何の心配もなく思っていたのに、突然、ありふれた日常は崩れ去ります。あのうるさいほどのゴロゴロは、もう、どこからも聞こえてこない

 

16年も連れ添ってくれました

猫がどんどん増えて、耳が聞こえなかったり、目が一つしかなかったり、次々に災難に見舞われたり、とても手がかかる連中がやかましく暮らしているものだから、聞き分けがよくって、イクメンで、放っておいても安心できたぽーちゅけはいつも後回しになってしまって、淋しい思いもずいぶんさせたでしょうね。それなのに、いつもいつもゴロゴロとそばに寄り添ってくれました。とても幸せでした。こんなに早く亡くなるのなら、もっともっと甘やかして、うんとうんと抱きしめてあげる日をいっぱい作ればよかった

 

今よりも幸せな場所へ

捨てられずにためた抜け毛は残っていますけれど、遺骨も遺灰もありません。手元には何も残したくない。そして、亡骸もきちんと焼却して、この地に骨ひとかけらすら残したくない。未練や心残りによって、ぼーちゅけの魂をワタクシに縛りつけてしまわないように、無にしなくてはいけないと思っています。 今よりももっともっと幸せな場所に生まれ変わるために

 

野良猫なんて、捨て猫なんて、猫にも生まれ変わらなくてもいい

今よりもずっとずっと幸せでいられる場所に生まれ変わってほしい。だから、虹の橋は嫌いです。こんな飼い主なんて待たなくていいよ。ワタクシのことなんかケロリと忘れて、ひとりでどんどん幸せになって、ずっとずっと幸せでいて。それがダメ飼い主の唯一の願いです。ありがとね、ぼーちゅけ。ごめんね、ぼーちゅけ。

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これがぼーちゅけの最後の写真となりました。そして、ぼーちゅけだけの写真は2か月前。どうしてもっといっぱい写真を撮らなかったのでしょうか……情けない
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しばらくブログをお休みいたしました。みなさまのブログにもお伺いすることができませんでした。ごめんなさいm(__)m これからまた、少しずつ復帰できればと思っていますので、よろしくお付き合いくださいませ