先週のお題「怖い話」を書きはじめましたところ、遅筆ゆえ、締め切りに間に合いませんでした。でも、途中まで手をつけておりますので、水曜日くらいにアップできればとと楽観していたところ、水曜日から画像をいじりはじめてしまい、本日何とかアップにこぎつけた次第デス。落ちブログなのに長めで、ちょっと重いかもしれませんけれど、よろしくお付き合いくださいませm(´・ω・`)m
猫だまりの猫一覧表は、サイドバーにリンクいたしましたので、ちゅけとちゅこの日々で、混乱されました際には、ご活用くださいませ
第一話「忍び寄る音」
新入社員として、少し仕事に慣れた春の終わり、お酒を飲み、ほんわか楽しい気分で、家路についていたときのことでございます
そのころは、杉並にあるワンルームマンションに暮らしておりまして、閑静な住宅街でしたから、終電時間には、家々の明かりは消え、街灯だけがマンションに続く一本を煌々と照らし出しておりました
住宅街の道ですから、自動車が一台通れるくらいの狭さで、通る車もなければ、人っ子一人いない、歩くものはワタクシだけ。でも、都会は街灯が明るいですから、夜道を怖いと思ったことなどなく、むしろその日は、誰もいないということに、すがすがしい解放感さえ覚えておりました
「人がいない深夜は、こんなにも自動販売機が自己主張するのねぇ~」なんて、酔っ払いらしく、とりとめのないことを考えながら、ショルダーバックを手に持ち、大きく振りながら、ふらふらと歩いておりますと
誰が見ても酔っ払いの背後から、ス っと、自動車が忍び寄ってくる音がいたします。とても静かに、酔っ払いの歩調に合わせたように、とてもゆっくりした速度で、徐々、徐々に近づいてまいります。完全にターゲットとしてロックオンされたとわかるエンジン音に、背筋が凍りつきます
とてつもない恐怖がワタクシをとらえます。振り向くことも、歩くスピードを上げることも、曲がることもできません。完全に心とカラダが固まって、ただただ、前を向いて、必死で気づかないふりして、歩くことしかできません
歩くスピードと同じ速度で、自動車が、横で、動いております。隣にいる。それはわかります。でも、車を見ることができません。振り向けません。絶対に見たくない。見て何かがあったらどうするんだ。もちろん、見なくてもこの後、何かが起こるのですけれど、それでも、起こる何かを想像する余裕なんてありません。一生懸命、振り向かないように首にすべての力を集中させ、ひたすら前を向いておりました。見るな、見るな、見てはいけない、見たら最後・・・なのに
ウィーンと車の窓が下がる音がします。それでも、まだ振り向けません。首筋が硬直します。凄まじい恐怖に、駆け出すことも、声を上げることも、パニックになることすらできず、この期に及んでも、聞こえない、見えない、気づかない、ふりをして、何も映らなくなった目をまっすぐ前に向けて、歩くことしかできない。それなのに、もう、次の一歩が踏み出せない。そのまましゃがみこみそうになった瞬間
振り向いた私の目に映ったのは、のんきに窓に腕をかけ、ふんぞり返った警察官とパトカーでした。寝静まる住宅街で、巡回中のパトカーが、ふらふら歩く酔っ払いを見つけて、注意をするためにを静かに追尾し、そーっと声をかけるために、隣で並走していたのです。すべては住宅街の静寂を守るために
チャンチャンで終わるお話なのですけれど、あの時の恐怖といったら、生涯忘れえないでしょう。もうウン十年も前の出来事なのですけれど、あの時、身に着けていた洋服もバックも靴も、街並みも街灯も自動販売機も、そして警察官の四角く下膨れな顔も、今でもくっきりはっきり思い出せるほど、深く脳裏に刻み込まれております。それほどの怖さをあの警官はワタクシに与えたのよ。一生忘れえぬ恐怖を
今では笑い話ですけれど、話しながらもあの時の恐怖はまざまざと甦ってまいります。もっとほかに、注意の仕方はなかったのかい
第二話「聖人の墓」
新入社員から1年半ほどたち、イタリアのとある教会で仕事をしたときのことでございます。伝統的な教会の聖堂には聖人が埋葬されており、そこは聖人の墓として、足を踏み入れてはならない場所となっております。観光客や礼拝者などがその上を歩かないよう、柵で囲われ、我々も神父さまより、決して踏まぬよう念を押されておりました
しかし、いざ仕事が始まりますと、イタリア人スタッフは、さっさと柵を外し、ガンガン、聖人の墓を踏みまっくて働きます。見ていてハラハラいたします。神父さまに叱られるということではなく、そんなことしていいのかということに。でも、現地のキリスト教徒が平気でやっていることですから、日本から来た仏教徒が口を出すのもちょっとはばかられましたので、そのまま続行して、無事、何事もなく仕事を終えました
ところが、その夜のことでございます。ワタクシは凄まじい金縛りにあいました。古い小さなホテル。趣のあるヨーロッパらしい素敵なホテルで、ペーペーだったためか、半地下の一室を割り振られたのですけれど、窓の外には、堅牢な石積みの塀があり、花壇で飾られた品のいい中庭がのぞけるワタクシ好みの部屋で、とても気に入っておりました
慣れぬ土地で、仕事の疲れもあり、食事中に供されるワインにすっかり眠気をもよおし、泥のような眠りについておりました。どれくらいの時間がたったころでしょうか。突如、からだが重く、動かない。押さえつけられているような苦しみで目を覚ますと、中世の鎧を着け、その上から黒いマントを羽織った大きな影がワタクシの上にのっかかり、首を絞めておりました
もがきたいけれど、もがけない。動きたいけれど、びくともしない。叫ぼうとしても、声にならない。それでも、ワタクシは頭の中で必死で抵抗し、指の先がほんの少しでも動けば、パリパリと、カラダを封じる鎖が砕けそうな、そんな一縷の望みを爪先に託していたというのに、カラダが飛びました
ベッドと天井の間で上下するカラダ。エクソシストさながらです。何往復したかもわからぬほどになって、ようやくベッドに落とされました。「やっと終わった・・・」と、見上げた淡いやすらぎの先には、5本の鋭い銀の爪がギラリと光り、殺される・・・と思った瞬間、すべてがブラックアウトしました。いつの間にか眠り、いつの間にか朝を迎え、いつも通り、なにごともなかったように目覚めました
この壮絶な金縛りは夢なのでしょうか。それにしてはリアルな痛みや苦しみでした。起きると左わき腹か強烈な痛みました
なら、現実でしょうか。目が覚めてみると、不思議と恐怖感はありませんでした。霊感も超能力もなければ、UFOやゴム人間なぞを見たこともなく、信心深くもない。金縛りという超常現象が、この身に起こりうるなぞ、考えてもみたこともございませんから、見極めがつきません
会社も部屋を替えるようにと配慮を示してくれたものの、なぜか移りたくなくって、結局、その部屋に2週間滞在いたしましたけれど、金縛りは聖人の墓を踏んでいるイタリア人を見た日のみでしたし、ワタクシが踏んだわけではないので、祟られる筋合いはございませんし、なにより仏教徒です。いまだに、夢か現かわからないのですけれど、今でもふと、あの幻想的な忘れえぬ恐怖がぶり返してまいります
第三話「金縛り体質」
件の体験により、ワタクシは金縛りによくあうようになりました。でも、何も出てきません。鎧マントも出てこなければ、落ち武者や足のない女性など、恐怖を伴う幻影は現れません。その代わりに、凄まじい耳鳴りが襲ってくるようになりました。キーンという金属音とザクザクと迫ってくる音が大きくなったり小さくなったり、耳の中で共鳴すると、金縛りを覚悟をいたします
耳鳴りからはじまる金縛りは霊の仕業ではなく、医学的に解明されている睡眠障害のひとつ、入眠時幻覚を伴う睡眠時随伴症とのことです。
まだ、医学的なことを知らずにいたころ、幾度も金縛りを体験する中で、導き出した対処方法が「寝る」でした。いつも、目覚めると「昨夜の金縛りは夢か現か」区別がつきません。区別がつかないなら、つけなければいい。夢にしてしまえばすべてがまるっとおさまる
結果、医学的にも正解だったのですけれど、霊的な体験でないとはわかっていても、カラダが動かない感覚は恐怖でしかありませんから、忘れえぬ恐怖を忘れるには、寝るにかぎる。「寝る」ことが一番の解決方法なのですよ、なにごとも
ただ、都会暮らしに疲れ、実家に戻り、世俗を離れた暮らしをしても、金縛りは続きました。それがね、あるときを境に「いっさい」なくなりましたのよ。なぜだと思います?
ワタクシを金縛りから解放してくれた救世主は猫さまです。先代猫ポーと一緒に眠るようになってから、一切、金縛りにあわなくなりました。それからかれこれ23年間、猫を切らしたことはございませんから、一度も金縛りは現れておりません
安堵いたしております。いくらエビデンスをもって解明されていても、カラダが動かないという状況は、「眠る」という単純な解決方法を思い出すまでに時間がかかるほどの恐怖をもたらすのですから
しかしデス。なぜ、単なる睡眠障害が猫によって改善されるのでしょうか。柔らかな毛、愛くるしい顔、かわいいおてて「そんな猫さまがそばいればぐっすり眠れますわ~zzz(*ฅェฅ*)」なんて非科学的なことで解決はできません。猫の存在が、金縛りの有無に影響することを、科学で説明できるのでしょうか。できませんよね
ということは、やはり、猫を嫌う無形の何者かにより、金縛りは実行されていたということになりはしないでしょうか
死の予感
ちょっとぼんやりしているのですけれど、確か、 ジョン・クロウリーの「リトル、ビッグ」だったと思います。その本には、黒猫が病気のご主人の部屋の前に座り続け、死神を追い払うという設定が綴られています。黒猫は死神を追い払うと、ネイティブアメリカンの間では信じられているそうです。日本でも猫を飼うと結核が治るといわれた時代があって、沖田総司も黒猫飼いだったそうです。結核は不治の病でしたから、死を追い払う力を持っていると信じられていたのでしょうね
猫だまりの黒猫・りちゅこは二度、死に対して独特の反応を示したことがございました。一度目は、ボーの命がつきかけていたとき
りちゅこがタッタッタッタッと音を立てて、ぼーちゅけの周囲を何度も回り続けました。りちゅこは目が一つしかないので、よくクルクル回る娘なのですけれど、このときは、確実に意思を持って回っていました。死神が近づかないように結界を張っているとか・・・。そして、結界を張り終わると隣の部屋に消え、三十分ほどすると、こちらに戻り、今度は部屋を大きく一回ぐるりと回って、また隣の部屋に去る。まるで、死神が来ていないかパトロールをしているように・・・
ゴロゴロ - にゃんころころ猫だまり
二度目は、yu*が亡くなるほんの少し前。いつもは座らないチェストの上に陣取っていた(り)がyu*に向かって、大きく振り向いたのです。yu*は具合が悪くなってから、ほとんど声を発することなく、静かに横たわておりましたから、この仕草がなければ、ワタクシはyu*の最期に気づかなかったかもしれません
耳の後ろを指でなでると、目を閉じて、とても気持ちよさそうに首を伸ばしたので、なで続けておりますと、夜半を過ぎたころ、すっと、yu*のカラダから力が抜けました
苦しかったでしょうに、つらかったでしょうに、しんどかったでしょうに、苦しむことも、痛がることさえせず、 静かに、とても静かに、ただただ静かに、二度と目を覚まさない眠りにつきました。悔しいほど、穏やかすぎる最期でした
ブログ開設1周年(8日前に) - にゃんころころ猫だまり
深夜に天井の片隅を見つめている猫 「猫あるある」ございますが、これはペッパー君にも起こる現象ですし、たいがいが小さな羽虫であって、Gでなければ背筋も凍りはしません
あのとき、(り)が何を見たのか、聞いたのか、感じたのかは知るすべはありません。でも、猫さまは「死」を察知する能力をもっているとワタクシは信じております。いっとき、アメリカの老人ホームで暮らすオスカー君も話題になりましたけれど、(り)にはこれほどの力はございませんが、ほかの猫たちよりは敏感なようです。もちろん、ほかの猫たちもみな、ともに暮らす仲間の最期が近づいていることを感じとっている。そう理解するほかない行動をとります
「ほんまでっか」の先生方が、霊を見ている人の脳は、一般には使われない領域が活性化していることが最近、わかってきたと仰っておりました。(り)は脳の神経障害やたまのショートが影響して、もしかしたら、別領域が覚醒し、ほかの猫さまよりは敏感になったのかしらと勘繰ってみたりいたしますけれど、どうなのでしょう。科学的エビデンスで導き出す方法はございませんからね。心霊・神秘というよりは、幻想科学として愉しんでおきましょうか
どちらにいたしましても、猫さまがいらしてくれれば、医学的金縛りにはあわないことは、ワタクシが証明しております。医学的金縛りに苦しんでいる方がいらしたら、ぜひ、猫飼いになられてはいかがでしょうか。金縛りだけではなく、自動的に幽霊も近づかなくなるはずですし、死神にはあまり効き目はないようですけれど、猫さまは自宅警備だけではなく、異界から侵入者をも阻止するために、日夜、戦ってくれているようですから。日々、猫さまに感謝でございます
それにしても、今週のお題「暑すぎる」デスカ。これは先週までのことでしょうと言わせてくれ。これから真っ盛り!になられても、我慢の締め切りは過ぎてますよ
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